総伝:大東流合気柔術の秘書

総伝:大東流合気柔術の秘書

大東流合気柔術は古代にさかのぼる武術であるが、他の旧派(古流)と違い残念なことに文書化が乏しかった。それにもかかわらず、大東流とそれらの流派に共通するの一つの点が技の拡散に関する秘密主義方針、1800年代後半に武田惣角が大東流合気柔術を広く普及させるまでの方針である。しかし実際にカリキュラムが標準化されたのは彼の息子の時宗(武田時宗)が引き継いてからだった。にもかかわらず、技術進歩の複雑な性質とその習得にかかる莫大な時間により、この術の極意を知る者は数少ない。そのため、118に満たないほどの技を収録する秘伝目録に収録されていないレベルの高度な技が語られている文章は比較的少ない。

季刊『大東流合気柔術琢磨会会報』 より

正統な系譜の中には久琢磨と中津平三郎の学生により構成された琢磨会と呼ばれる系譜があり、惣角が残した優秀な技が映された何百枚もの写真が掲載される詳細な技集が保管される場として知られる。この集は厳重に管理されており、数人の超上級者にだけアクセスが許可されている。その結果、フルバージョンを見ることができた人間は数えるほどしかいない。この集は大東流合気武道伝書全十一巻と呼ばれ、総伝の名でより広く知られている。故スタンレー・プラニンは久琢磨からこの集の複写を授かり、彼の死後は合気道ジャーナルの新編集者ジョシュ・ゴールドの任命により、私がスタンレー氏の大東流合気柔術に関連する文章を保管する役割を担うことになった。そういう経緯でこれから私がほとんどの武道家が知らないこの文章を完全解説していきたいと思う。

総伝の起源

総伝の起源は関西地域、正確には大阪の朝日新聞にさかのぼる。社の防犯担当者の一部が始めは合気道の生みの親である植芝盛平から1934年から1936年の間、その指導者である武田時宗から1936年から1939年の間にかけて大東流合気柔術の指導を受けた。指導後、一部の生徒が教わった技を再現し新聞社の機材を活躍させ写真に収めた。琢磨会に伝わる伝説によればそれはクラスの終わりに毎回、グループのリーダーである久琢磨が指導者を浴場に連れて行っている間に知らずに行われていたそうだ。1500枚以上の写真が撮影され封筒に丁寧に保管された。数年後の1942年から1944年、久琢磨によりこれらの写真が技の決め方の説明とともに複数巻に収録された。

総伝の構成

総伝には全部で547の術が収録されているが、琢磨会の現会長である森恕によれば他にも未公開の技が何百もあり、その一部のみが久により伝承された。

1から6巻

本編には植芝盛平が教えた技が記載される。これらの技は1巻から5巻にかけて合気道として紹介されている。植芝は毎月東京から大阪に通って指導し、湯川勉、白田林二郎、舟橋薫、塩田剛三、吉村義照など彼の生徒を代理として送ることもあった。後者は取りとして総伝の写真にも登場し、川添邦吉は受けを担当している。これらの術は全て初心から中級レベルの生徒に向いている。

第1巻の最初の3つの術は居捕式で行われた一本捕、逆腕捕、車倒であり、秘伝目録1カ条の最初の術でもある。

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 1巻からの技(取り:吉村義照、受け:川添邦吉)

第5巻の最後の部分には多人数捕と呼ばれる複数相手の技が掲載され、中津平三郎が第二の受けを担当している。久琢磨によれば多人数捕は真の武道技ではなく、演武会で一般の視聴者を魅了するために使うものだそうだ。

巻に多人数捕があるんです。5巻までは初伝技なんです。「なんで多人数捕というむずかしい技が5巻にあるんですか」って聞いたら、「ばか、これはむずかしい技じゃない、演武会用の演技だ、こういうのをすれば、大東流は素晴らしいといって見物人が喜ぶじゃないか」と言ってました。それで久さんは『日本の古武道』の撮影のとき、はじめは多人数捕を外したんですが……。久琢磨(天津裕「朝日の〝久さん〟との思い出」より)

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多人数捕を見せる5巻からの抜粋(取り:吉村義照、受け:川添邦吉と中津平三郎)

第6巻には植芝盛平が教える高度な技が含まれており、大日本綜合武道旭流柔術と題されている。 中津平三郎が技を行う。本編は写真に説明がついていない唯一の部分だというのが興味深い。久琢磨の愛弟子である天津豊によれば説明は存在し、後のバージョンの総伝で読むことができる。

少なくとも総伝に出ている人で生きている方はいないと開いております。また、武田惣角先生から直接習った方で朝日新開関係の方はみな亡くなっています。あの当時久先生と一緒に稽古をしていた方で中津平三郎という方がおられたのですが、武田時宗先生の御話では、朝日で橋古をしていた人達の中では一番技術が上で、久先生よりも技術的には優れていたそうです。その中津さんから習った人が今の小松島の時田完一さんです。森恕-合気ニュース#81

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中津平三郎が植芝盛平の高度な技を行う6巻からの抜粋

7から9巻

これまでの巻とは異なり、合気道ではなく大東流合気柔術極意總傳と題され、1936年から1939年にかけて武田時宗が教えた技に重点を置いている。これらの技は脚、そして体重を激しく使用することが知られ、大東流合気柔術の中でも上級の技として認識される。

だいたい植芝流と武田流の違いは、武田流は足を使うんです。足はどんな腕よりも力があるから足で相手の腕を攻めるのが基本だと。目的は相手の関節を、逆をとることであって、だから投げっぱなしはない。投げるのは相手が動いていると関節をとりにくいから、倒して動きにくくしておいて足で関節をとるためだと。自分の足元に相手をつぶして足を使う。これが武田流です。久琢磨(天津裕「朝日の〝久さん〟との思い出」より)

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中津平三郎が武田時宗の大東流合気柔術の高度な技を行う7巻からの抜粋

10巻

本編は合気道第十巻警察官用捕技祕傳と名づけられ、法執行官への指導用に構成された手錠をかける特別な技が含まれている。これらの技の一部を久琢磨は捕技秘伝マニュアルで解説し、以下のように紹介している。

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 警官の逮捕技を見せる10巻からの抜粋

11巻

この巻は合氣道第十一巻女子護身術と称され、女性用の12の護身術が掲載されている。

灯火管制下の夜、ややもすれば危険に曝されんとする女子に對し、すくなくとも危険被害を防ぎ臨機に応ずるだけの心構えと護身術を獲得習得させたい。総伝十一巻

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特に女性に向けた技を掲載する11巻からの抜粋(受け:吉村義照)

興味深いことに総伝の第11巻の終わりには若い女性が日本の中学校で合気武道と呼ばれるものを実践している写真がいくつも掲載されている。日付は不明だが、総伝の発行後、40年代前半のものである可能性が高い。学校で教えることができるのは柔道、剣道、弓道、空手道、薙刀道、少林寺拳法、合気道そして相撲の公式に認定された9つの武道だけである。戦争に合わせた技を教育目的に改良した最初の人物は嘉納治五郎であり、彼の提案は何度も却下され、その都度古流柔術の技をさらに改良し、今日では柔道と呼ばれる、子供に教えるのに相応しいものにたどり着いた。面白いことに大日本武徳会により「合気道」が40年代前半に公式化されたのも同じような理由からだろう。

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中学校で合気武道を実践する女子たち

総伝の今

総伝は朝日新聞の道場で教えられた技の一部に過ぎず、この時代のものはもはや現代には存在せず、多数の技が既に失われた。また、久琢磨の時代には生徒が総伝技(全てではなく書の順序通りとも限らない)を学んだにも関わらず、社は後に武田時宗考案のカリキュラムを採用することになった。そのため久の死後に入社した者たちは秘伝目録の技を学び、総伝技の研究は特別なセミナー用のものに格下げされた。また、一部の者の考えとは裏腹に、総伝を保持はそれに収録される技の理解を保証するものではなく、それは技の説明の簡潔さ、また説明自体存在しないことが理由だ。もう一つ覚えておきたいのが、これらの写真は技を一度見ただけの生徒たちが撮ったもので、武田時宗は一度見せた技を二度と見せないことで有名だったこともあり、完璧に再現されている可能性は低い。もちろん総伝は元は単なる覚書として始まったもので、決して教材ではない。全ての巻物や書にも同じことが言える。生徒は自分たちでノートをとるものだ。

先は、「巻物は後で貰う物で、巻物に従って教えるものではない」とおっしゃっていました。また、「今の内に全部習って憶えておいてくれ、免許皆伝は白紙(何も書かない)だよ」とも言われました。森恕-合気ニュース#82

今日では総伝技の丹念な指導を受けた者は希少、もしくは存在すらせず、技の一部は多かれ少なかれ時代遅れになった。森先生と、琢磨会の上級職員の中には大東流合気柔術のカリキュラムの他の要素に基づいて、忘れられた総伝の技を研究している者もいる。森恕-合気ニュース#82

久琢磨先生は少なくともテーマを決めてやられた時には思い出したものは全部教えられたのではないでしょうか。ただし100ペ-セント思い出されたかどうかは分かりません。

 


erard文◎エラール・ギヨーム
フランス出身、科学者(分子生物学の博士号)および教育者であり、日本の永住者。東京の合気会本部道場で稽古を行い、合気道道主植芝守央から六段、大東流合気柔術四国本部から五段と教師の免状を授与される。フルコンタクト空手も練習している。自身の「横浜合気道場」で合気道を教えており、定期的にヨーロッパを訪れ、合気道や大東流のセミナー、武道の歴史についての講義を行っている。

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