中津平三郎の残した大東流

中津平三郎の残した大東流

大阪に武田惣角から久琢磨へ受け継がれた琢磨会たあるように、久とともに大阪朝日新聞道場で修業し、その技を四国に伝えた中津平三郎の流れがある。中津は昭和5年に大阪朝日新聞に入社、久と同じく盛平、惣角の下で研鑚をかさね、昭和12年には、惣角より教授代理を許されている。人を見て教えたという惣角が、柔道を基盤にもつ中津へ伝えた“畳一枚で勝負のつく体捌き”とは――。中津の技をもっともよく引き継いだとされる徳島県池田の千葉紹隆師範に、中津師範のこと、その技についてうかがった。

季刊『合気ニュース』 №129(2001夏号)より

 畳一枚で勝負をつける

中津先生についたのは私が20歳のころからです。中津先生は接骨医で、その待合室が道場でした。4畳あるかないかというところで3組から4組、多いときで8人稽古したのです。ですからどういう稽古をしたかわかるでしょう。立合いです。極め技、固め技、投げ技から始めるんですが、投げ切るのではなく、叩き込むんです。横に投げるのではなく縦に……、畳一枚で勝負をつける技をやりました。

夢を見るくらいに修行したですよ。夜中、横で寝ている妻や子供を飛び越えて、3メートルも飛んでまた戻ってくるとか(笑)。

稽古の前は、治療の手伝いもさせられました。それがすんでから稽古です。2人の場合や、3人の場合、1人の場合もぜんぶ見てくれた。週何回とかはまったく決めていませんでした。

稽古では、こうやってああやってという説明は何もないんですよ。ただ中津先生は接骨医ですから、最初は人体の細かいことを教えられました。経絡やツボがわかっておられたから、ここをやると頭骨神経がどうのとかいう話はありました。

たとえば、「ここを制御したら相手は15年目に亡くなるぞ」なんていう口伝もあったです。そんなことしたら犯罪ですからね、つまり「うかうかやるなよ」というわけですね。口伝というのは逆のことをいうこともあるんです。

ただね、稽古でもし骨を折っても、中津先生は接骨医ですからすぐ直せる。そんな環境で稽古をしましたから技はほんとうにきつかった、厳しかったですよ。中津先生は、気が大変短く、徹底した人でした。

嘉納治五郎の始めた柔道は大衆化しましたが、結局それは勝敗を中心にしたものです。古来はそういうもんではない。「その武術をやる」ということは、「生か死か」が中心でした。だから時宗宗家はその考え方をひっくりかえし、武をつけたんだと思うんです。武というのは、矛を止めるという意味、戦うことをやめる、止める、ということですからね。それに「道」をつけた。

“天狗になるなよ”

中津先生がよくおっしゃいました。「技を習うということは、技を忘れるということだ」とね。その言葉で私は鼻をへし折られた気分でした。忘れろよ、天狗になるなよ、ということです。惣角先生も同じことを言われたそうです。これに関して、惣角先生のエピソードを時宗宗家から聞いたことがあります。

あるとき惣角先生が寄ったダンゴ屋のばあさんの話ですが、そこのばあさんが、お客さんが食べた団子の串を洗うために、それを肩越しに後ろへひょいっと投げると、それが常に後ろのダンゴ差しにブスっと刺さるというんです。後ろ向きですよ。上には上があるということですね(笑)。

人を見て教えた惣角

惣角先生は、人物を見て教えたんです。久先生は相撲の出ですね、ですから惣角先生は、相撲に似通った技を教えている。中津先生は柔道です。ですから、残心がこのような構え(両手を上にあげる)になってます。私が中津先生に教わったのは、そういった構えです。仁王立ちになる。これはなぜかというと、相手を足で踏むかなにかして、相手を制しつつ、まだ四方八方に敵があることを仮定した構えなんですね。顔をこうしてあげていれば、周囲の相手がわかる。180度見れる。そういう構えを私は最初に教わりました。

総伝の写真を見てもわかるように、中津先生が登場するのは、後半の8巻9巻あたりですね。後半の巻しか出ておられないのは、そのあたりの技を惣角先生から直接に習ったのが中津先生であったからだと思います。惣角先生は、全員にすべてを教えたのではなく、各個人の力量に応じて教えたんですね。だから吉田さんとか川添さんとか、あの写真に登場する人たちの弟子が、今もし演武をしたら、それが一遍でわかると思いますよ。中津先生自身も相手を見て教えた。久先生もそう。私自身もそうです。

「やっぱり中津の弟子だ」

私が久先生にお会いしたのは、昭和42年に、故蒔田完一さんが久先生を徳島(小松島)へ招待したときでした。そのとき久先生に演武をやっていただいた。そしてその前で、私たちも演武したのです。久先生は私の演武を見て、「やっぱり中津さんの弟子や、大東流や、まちがいない」とおっしゃった。そして「大阪の連中にこれを教えてやってくれんか」ということで、その後私は2、3回、大阪の新聞社で久先生の要請で講習をやりました。今でも時々講習会に呼ばれています。

巻物よりも体得

これは中津先生からお聞きしましたが、惣角先生は、目録は、それをもらう本人に書かせたということです。先生は判だけは押したんだと。

自分で書くというのはひとつの修行です。ただ目録というのは、それだけの技があるぞという意味ですよ。「右にて打ち込み、右にて返す」とだけ書いてあるのを写しても、なんのことだかわからん。それに、これは私の解釈ですが、巻物というのはそこに書いてあるようにやってもぜったいできんように書いてある。右でやるところを左でせいとか、左のところを右でとか、反対のことを書いた場合と、ほんとを書いた場合がある。そこには会津弁もはいっていたと鈴木新八先生もおっしゃっていました(私は、中津先生が亡くなられたあと、網走に行き3日間時宗先生につき、その後は時宗先生の弟子の鈴木新八先生にもついています)。

みんな巻物をもらうと喜ぶけどね、それまでになる行為が必要だということ、大事なのは技を習うことなんですね。

実戦技 大東流

大東流というのは、実戦の技からきているんですよ。中津先生は、「攻撃があって、守備があるんじゃない。攻撃の仕方を知らなくて守備はできないんだ」といつも強調していました。多人数と戦うときでも、一度に10人掛かってくることはない、多くても3、4人だと言ってました。それ以上だと相打ちになるんですよ。ひょいっとこちらが躱したらね。

惣角先生が、明治時代に30人を相手にしたというエピソードがありますが、3人かかってきたら、まず一人を相手にする。その一人だけをぼーんとやれば、他の2人に間合いがあく……大東流は、こういう実戦からきているんですね。

「第六感で感じるしかない」

中津先生は、後ろからナイフが飛んできた場合のことも話してくれました。「先生、人には後ろには目がないから」と言うと、「いや目はある、おまえたちは感じないか」と言うんです。第六感的なもののことですね。女子のほうがそれを感じやすいと言われてましたが。ですから、すれちがいざまにやられるような場合のことは教えられない、“感じる”しかないから、と言われていました。そういった技に通ずる話を中津先生は、口伝で教えてくれました。

私は、中津先生の門下ですから、中津先生の厳しさ、精神的なものも吸収するようになるわけです、技と同時にね。

私はいつも弟子に言うんです。おまえらは卵だ。卵でも二種類ある。有性卵と無性卵だ。おまらえらはどっちなんや、と。どうせなるなら、有性卵になれ、と言うてるんです。有性卵ならひよこに育つ、育っていくということですからね。                  


〈プロフィール〉
千葉紹隆 ちばつぐたか
昭和6年、徳島県出身
武田惣角門人・中津平三郎の道場に昭和21年に入門 中津より秘伝目録、秘伝奥儀、合気之術、御信用之手を許されている 徳島県池田浄光寺住職
中津平三郎 なかつ へいざぶろう
明治27(1894)年徳島県に生まれる。大正時代末期に大阪に出て、大阪市の曽根崎警察署勤務。当時柔道五段だった中津は、昭和初期、柔道教士として大阪に町道場を開設した。当時朝日新聞大阪本社では保安強化の必要性から武道の猛者を集めていたが、おそらく柔道大会で東西対抗柔道代表選手として活躍していた中津の活躍も目にとまったのであろう、昭和5年頃、中津は朝日新聞大阪本社庶務部保安課に入社した。この朝日新聞道場で、久とともに植芝、武田両師範より指導を受け、昭和12年に惣角より教授代理を許された。昭和18年脳出血で半身不随となるが、その後回復。昭和20年より徳島県池田で接骨業のかたわら、大東流の指導にあたった。昭和35年1月、講道館6段。同年12月、66歳で死去。
 子息嘉和氏によると、中津は脳内出血の後遺症をかかえながらも指導をつづけ、形にいのちがある大東流によってハンディを克服、狭い稽古場でひたすら指導に専念したという。中津の没後34年、嘉和氏の長男は、祖父の遺志を継ぐ者がいなければと、福岡支部の門を叩いた。

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