開祖に学び、世界に伝える――磯山博師範インタビュー

開祖に学び、世界に伝える――磯山博師範インタビュー

磯山博師範(1940年生)は、合気道開祖植芝盛平翁の直弟子として、1957年に17歳で合気会本部道場での修行を開始し、戦後の合気道発展において重要な役割を果たしてこられた。

本インタビューは、ギヨーム・エラールと井沢敬(国際合気道連盟会長)によって開祖の道場で共同実施され、磯山師範の豊富な経験と深い洞察に基づく貴重な証言を記録したものです。師範は、開祖の真の合気道と現代の修行者が心に留めるべき本質的な教えについて率直に語っておられます。

特に、開祖から直接受けた技の体験談、独自の力の使い方、合気道における「気」の重要性、そして国際合気道連盟での長年の経験を基にした世界の合気道の将来について貴重な示唆を与えてくださっています。
このインタビューは、合気道の真髄を求める全ての修行者にとって、開祖の教えを正しく理解し継承するための重要な指針となるでしょう。

ギヨーム・エラール:とても若い頃に合気道を始められましたが、そのことについて教えていただけますか?

磯山先生:他の先生方は、そういう質問に対して、大先生の言われることに感銘を受けたとか、合気道が和の武道であるからそういうもので私もぜひということで始めたという人たちが多いけれども、私は違います。はっきり言って、喧嘩して負けたくなかったから。

ギヨーム・エラール:岩間道場での稽古はどのようなものでしたか?

磯山先生:それは私が中学1年生の時で、12歳の時、1949年の6月1日です。その当時はここには畳がありませんでした。板の間です。だから、そんなに投げ技というのは、今みたいに畳を叩いて受け身を取るような投げ技じゃなかったけれども、まず最初は大先生の稽古というのは、居から難居という、優しいのからだんだんきつくなる、そういう居から難居というような稽古でしたね。だから最初は座り技。それからだんだん、半身半立、立技というふうにやってました。

ギヨーム・エラール:私はアンドレ・ノケ先生のグループで合気道を始めました。彼について特別な思い出はありますか?日本にいる間、岩間道場によく来ていましたか?

磯山先生:私の居る時には、何回か来たのは。そんなに頻繁には来ていないと思います。私、彼と稽古したのは本部道場で、私が大先生のお供で行った時に本部道場で稽古したことがあるんです。何回か。私がまだ高校生の頃、アンドレ・ノケさんはガッチリしてたでしょ。それで二教なんかこうやるわけ。私には効かないわけよ。で、私がやると効くんだよ。それでおかしいってわけ。彼がおかしいってわけよ。そういう思いで一生懸命やって。そうすると吉祥丸先生が来て、ノケさんそうじゃないんだよ、こうやるんだよ、って私のことギャッてやるわけだ。そういう思い出はありますよ。

アンドレ・ノケが岩間道場で眠っている様子(約1956年)

ギヨーム・エラール:磯山先生が始めた頃、技は「教」ではなく「カ条」と呼ばれていましたが、大東流合気柔術により近いものでしたか?

磯山先生:それはもう間違いありません。私が開祖の御指導を受けた時には、一カ条、二カ条、三カ条というふうに言ってました。それがアンドレ・ノケさんというのがフランスから本部道場に出稽古に来て、その時にそういう教本みたいなのがなかったわけ。それで吉祥丸先生が合気道の最初の本を出したわけ。その時に一カ条、二カ条でなく、一教、二教、三教という、これは古流柔術には一カ条、二カ条という教え方と、それから一教、二教、三教というのもあるんです、実際に。「教」というのが、私は最初分からなかったわけ。一教、二教、「教え」という字を書いているんですけども、分からなかった。どういう字を書くのかなと思って。そして本を見たら一教、二教、三教という。だからあの時かな、小手返しなんかも、小手返しはそのままかな。二教の裏なんか小手回しとか、そんな名前を使ってました。

ギヨーム・エラール:なぜ「カ条」から「教」に名前が変わったのでしょうか?

磯山先生:それは、どういうお考えか吉祥丸先生の気持ちは分からないけれども、やはりあれじゃないのかな。例えば大東流の時にはカ条、二カ条というような、先生の、武田惣角先生からいただいた巻物には一カ条、二カ条だから。そういうのからある程度脱皮するというか、そういう感じだったんじゃないのかな。これはあくまでも私の推測ですけれども。

ギヨーム・エラール:大先生の選択をより理解するために大東流合気柔術を学んでいます。合気柔術と合気道のカリキュラムを比較し、両者の関連性を通じて、大先生が合気道を創設する際に何を考えていたのかを探ろうとしています。大東流合気柔術には各カ条を説明する多くの技があるのに対し、合気道には一つしかないようです。例えば、合気道の一教は大東流の一本捕り(一カ条グループの30技の最初の技)に似ています。大先生がどのように合気道のカリキュラムを組み立てたかご存知ですか?

磯山先生:昔の、例えば大先生、私が1949年に始めた頃の技と、やっぱり大先生の晩年の技というのは、同じ例えば一教であっても若干違ってきている。例えば大東流の場合は同じ一カ条であっても色々あるというけれども、今だってそうなんだよ。例えば一教つったって正面打ちがあれば横面打ちもある、片手取りもあれば色々分かれてくるから、一教でもたくさんあるわけだ。だから基本技でも二千何百手あるという風に昔はよく言ってました。

ギヨーム・エラール:合気道に五つの技・原理があるとすれば、四方投げや小手返しのような(「教」と呼ばれない)他の技はどこに位置づけられるのでしょうか?それらは原理ではないのでしょうか?単なる技なのでしょうか?それゆえに重要度が低いのでしょうか?

磯山先生:それは、「教」がついたからつかないからといって、技の軽重というか、そういうものは言えないと思うよ。例えば一教から五教までというのはどちらかというとみんな抑え技なんです。小手返しとか四方投げとか入身投げとかというのはみんな投げ技に入るから、だからそれぞれ、名前によって技の特徴というのは違います。それでこの技は簡易な技とかこれは重要な技とか、そういうような区分けはできないと思います。

ギヨーム・エラール:「合気道」という名前は大先生が選んだのではなく、委員会によって決められたようですが、そうでしょうか?

磯山先生:それについては私も分かりませんけれども、本にはそういう風に書いてありますね。ある本には。確かに、武徳会か何かに平井先生が大先生の代わりに指導に行っていたらしいよ。大先生のお弟子さんだから。その時に、いわゆる武徳会か何かで、大東流合気柔術で行ったのか何か分からないけれども、その時に初めて合気道という名称を使ったらしいんだけれども。私もそれは分かりません。ただ私の、ここに入門した時は確かに、財団法人合気会だったの。というのは財団法人合気会を文部省から認可されたのは昭和22年か何か。

その前に財団法人皇武会って言って、それはずっと古いんですよ。それで戦後、終戦後、昭和22年だと思うよ。文部、いわゆる今の文科省、前の文部省から認可されたのは昭和22年に財団法人合気会として認可されていると思う。その時にはちゃんと「合気道」というのを使っていたわけ。それで私の門人帳に書いた門人帳の題名は「大東流合気柔術門人帳」、それを私はサインしているわけ。だからその門人帳の初めの頃には海軍大将の竹下勲さんとか、そういう人の名前も載っています。

ギヨーム・エラール:それ以前は植芝先生の武術は何と呼ばれていたのでしょうか?

磯山先生:合気道になる前に合気武道とは言っていた。我々はもう初めから合気道じゃなくて「合気」って言っていたわけ、ここへ入門した当時は。合気道じゃなくて。その前は、終戦前じゃないのかな、昭和20年前じゃないのかな、合気武道なんて言ったりしていたのは。

ギヨーム・エラール:磯山先生は大先生の岩間移住の直後に入門されましたが、合気道が大きな変化を遂げた時期でしたね...

磯山先生:それは、やはりあれじゃないのかな、終戦という戦争が終わったということ。それは大きなきっかけになっているんじゃないかなと私は思います。あとは、これも私ら子供だったからよくは分からないけども、大先生がこちらへおいでになった時には若干、体を壊していたみたいだよ、病気されて。それまではここにもあるけども、口ひげだけだったわけ、口ひげだけだった。ここへ来て、このあごひげを伸ばしたらしいよ。私らが入門した昭和24年、1949年にはもうこうなっていたわけ。だから昭和18年に神社を建てているわけだから。その前にちょいちょいこっちへおいでになっていたと思う。やはり終戦という大きなきっかけもあったし、それも若干影響しているんじゃないのかな、大本事件ってあったでしょう。ああいうのも。だから大先生は全然引っ張られなかったわけよ。

ギヨーム・エラール:そうした変化において吉祥丸先生の役割はどのようなものでしたか?

磯山先生:例えば大先生と吉祥丸先生と比較することはできないけれども、大先生というのはどちらかというと、あまり組織というものに対して関心がなかったわけよ。それはもうしょうがないと思うの。道なき道を開いてきたわけだから、開祖は。ところがある程度基盤ができたところで、吉祥丸先生がいわゆる組織化というものに力を入れたわけです。もし2代目の吉祥丸先生が開祖と同じようなことをやっていたら、今の合気道というのはなかったと思う。合気会、この組織が。だからそういう面では、ものすごく合気道界に対して、吉祥丸先生の貢献度というのは大きいと思います。だから最初、例えば本を出した時も、全く初めての人たちに分かってもらおうと思って、あんまり一カ条とか二カ条とかというのは使わないようにして、そして皆さんが分かるような言葉にして、工夫されたんです。

ギヨーム・エラール:今日の合気道において岩間道場の位置づけはどのようなものでしょうか?

磯山先生:難しい。非常に難しい。いや、それは、今は道主も週に1回稽古に来てるんですよ。だから若い先生も水曜日には稽古に来てるわけ。道主は土曜日に稽古に、毎週来ることになってるけど忙しい方ですから、月にそれでも1回か2回は来てるんじゃないかと思う。そういう風にして来て、本部とこの道場とは一体になりつつあるんだけれども、やはり若干稽古の内容が違うんで、戸惑う人もいるわけよ。でも、まあ今のところうまくいってるんじゃないかな。そういうことで、もっともっとここの指導員の連中と、本部の指導員の連中との交流を、もっとやって、いわゆる精神的な面でも何でも、打ち解けて、話ができるような雰囲気を作っていけば、いい方向へ行くとは思うんだけど。

ギヨーム・エラール:合気道は武器から来ているという人たちに同意されますか?

磯山先生:これはやっぱりその人の考え方にもよるけれども、合気道の場合はやはりそういう風に昔から言われてるんですよ。武器技からだ。だけどもやはり武器技と武器を持った時と体術というのは動きも違います、若干。ただ、私が一番思うのは武器を持って攻撃をしてきた時の入り身の入り方とか、体のさばき方とか、そういうのは武器を持った時の方が、要するに分かりやすいわけ。体術だけでやるよりも。だからそういうところでこれから結びつけて指導するというか、稽古するということも必要じゃないかなと思うんです。

というのは、例えば、バーンと正面を打ってきますよね。打ってきても、武器を持った時の、いわゆる剣でも杖でも持った時の打ってきた時と、今の素手で正面打ちを打ってきても全然違うわけです。本来ならば、それは持っていると持っていないのでは違うんだけれども、体さばきなんかは同じなんです。例えば入り身で入る時に、しっかり入っていれば相手が剣を持っても杖を持っても入れるわけ、かわすことができるわけ。ところが今のような状態でやっていたら、相手が武器を持って真剣に打ってきたら、逆に打たれたり突かれたりすることが出てくると思います。だからそういう時に、体術だけでなく剣杖を使って体さばき、そういうものをしっかりと身につける必要があるんじゃないかなと思って、私は今でも、それは剣杖を主体にしてはいませんけれども、そういうことを説明しながら稽古させています。そうすると、動きが変わってくるんです。

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合気神社にて、稲垣繁實師範、ギヨーム・エラール、井澤敬、磯山博師範。

ギヨーム・エラール:体術・剣・杖の統一理論についてどのようにお考えですか?

磯山先生:今言ったように、若干違います。違うけれども、動き方、さばき方というのは、杖、剣を持った時、いわゆる武器を持った時にしっかりできれば体術でもできるわけ。ところが体術でやっていると、相手が杖、剣を持った時には動きができないわけ。というのは、相手がこちらに合わせて受け身を取るような稽古だったらそれはできますよ。だけど相手が真剣にパッと打ってきた時に、入れますか?いい加減な体術をやっていたら。だからそこで、相手が武器を持った時には精神的にも違います、緊張します。その緊張感を感じさせるためにも、私は剣杖というのが必要じゃないかなと思います。

ギヨーム・エラール:大先生はどのような状況で武器を稽古に使っていたのでしょうか?

磯山先生:それは、さっき私も言いましたけれども、要するにさばきと入り身ですよ。さばき。さばきと入り身。そういうことを具体的に分かってもらうために。だから、大先生は、狭いところでも、合気道の話を、初めてのお客さんが来るでしょ。そういったいろいろ話をしていて、私らお供で行った時なんかも、すぐそこでもう技に入るから。話をしていて、お茶を飲みながら話をしていても、「お前、君、君ちょっと来い」って言って、バッとやるわけ。それは、要するに、ただ、入り身がどうのこうの、さばきがどうのこうのって口で言っても、分かんないでしょ。だから、相手を使ってやるわけよ。だから、剣杖が近くになければすぐそこで体術でやるけれども、剣杖があれば、ここでも何度もそれは演武なんかでもよく。だから、入り身ってのはこういうもんだよ、ということを実際に、剣杖を使って見せてくれた。だから、剣杖をこういうふうに使うんだよって言うんじゃなくて、相手が剣杖を振ってきた時には、どういうさばきをするかというようなことが主だったと思います。

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磯山先生がギヨーム・エラールに開祖の木剣を見せている様子

ギヨーム・エラール:座り技の教育的目的は何でしょうか?

磯山先生:座り技というのは、例えば立ち技と比較した場合には、全く動けないんです。ましてや初めての頃は、膝行すらうまくいかない。それを、自由に動けるようになるということは、やはり下半身が強くなくちゃならない。だから、例えば柔道なんかの場合には、寝技というのはありますよね。合気道には寝技というのはない。だからそういうところで、やはり、昔はよく私ら合気道には寝技がないんで、その代わりに座り技があるんだよ、なんていう先輩方もいましたけれども、それは一理あるかもしれないけれども、やはり、日本のいわゆる生活様式から来ているんじゃないかなと私は思うんだけども。そして、いろんな技の全く基本的な動きの中の、基本的な動きの中の基本というような私は捉え方をしています。だから非常に座り技というのは大事な稽古です。

ギヨーム・エラール:現在の座り技は、大先生が行っていたコンパクトなやり方や、大東流の実践者が行うやり方と比べて異なっているように思われますが。

磯山先生:それは、一概に言えないと思うんだけども、やはりその人によっても違うから。確かに、大先生の昔の映像なんかを見ますと、あんまり動いてないよね、その場で。今はもう座り技といっても、いわゆるあれでしょう、つま先立ちになっちゃってるんです、ほとんど。だけども、昔の座り技というのは、正座から正座へ行って、正座で動いて、パッと動くときにはつま先立ちで動いたりなんかしてるけども、押さえるときは正座で押さえたり。だから、例えばそれも大先生の晩年は、やはり体が十分に動かないということもあるだろうし、動けなくなったということもあるだろうし、そうなると今度は、正座よりも立ち膝みたいな感じになってるから。

ギヨーム・エラール:磯山先生が大先生と過ごした20年間で、大先生の合気道は変化しましたか?

磯山先生:大いに変化してますよ。大先生はよく言ってたんだけども、固体、液体、気体と、それから丸に四角に三角、これは神道から来てるみたいだけど、生産霊、足産霊、玉留産霊というようなことでね。私は文字で言うと、楷書、行書、草書、いわゆる三体ね。固体、液体、気体ということはよく稽古の中でも話はしてましたけども、私は固体、液体、気体でも皆さんに説明することはあるんだけども、もっと分かりやすく言うと、楷書、行書、草書ですよ。

みんな日本人だったらだいたい書道はやるでしょ、少しは。その時に一番最初に習うのは何かって言ったら、横一本の棒を引くこと、縦一本の棒を引くことですよ。その一本の棒でさえ、起筆、運筆、収筆ってあるわけだ。そういうしっかり力を入れるとこ、抜くとこ、そういうことをしっかり習った上で、今度は行書っていうのをやるわけですよ。行書から今度はスーッとどこで始まったか分かんないぐらいに流れる。それは技でも言えるんじゃないのかな。そうでしょ。私はどんなに技が変化しても、やはりしっかりした技。それから行書的なある程度動きのある技。それからサーッと動きだけの技。その三体をしっかり稽古する必要があるんじゃないかなと思います。

だから今でも私は体が動けないなりに、それはやってます。しっかりできなければ次の技はいけませんよと。それがどちらかというと、今皆さんがやっているのを見させてもらうと、私の見た限りではどちらかというと、柔らかいね。

それは大先生が、私が始めたところの技というのはやっぱり文字で言うと楷書的な稽古が多かったわけですよ。私はたまたま20年間ですから、大先生との接点というのはたったの20年ですから。それであっても晩年の大先生の技というのはやっぱり変わってきてますよ。自分で80過ぎて体力もなくなってくると、そんなもう60代の技というのはできませんからね。そうすると柔らかく相手をうまく動かすわけ、大先生の場合は。相手に動いてもらうんじゃなくて、相手を動かすようにしているわけ。そこが違いますよ。相手に動いてもらうんじゃなくて、相手が動かなくちゃならないような状態を作っていったのが大先生の動きですよ。

だから私実際に、例えば大先生が入身投げやるでしょ。そうすると、確かに触らないで投げられたこともあります。

井沢敬:どのように?

磯山先生:なぜかというと、スーッときて引っ張られるようにしてスーッと入ってくるんですよ。それであるとき、投げられないだろうと思って。ちょっとこう頑張るというか、

井沢敬:抵抗?

磯山先生:うん、抵抗。そしたら、バーン!だからそういう無駄な抵抗はしないでいくわけでしょ。だからそれがあるからちゃんと。今どっちかというと、見てると、自分から転がりにいってるわけよ。だからそういうのが多く見られますよね。だからその辺の違い、同じように動いていてもその辺の違いじゃないかなと思うんです。ある人なんか、首を動かしただけでも相手が転がっていったんじゃない?演武なんか見てると。こうやると向こうに転がる。そういう人もいた。それは大先生のそういう動きは私は見たことない。だからその先生は大先生をもう越しちゃってるわけですよ。だからどの程度修行されたのか私は分かんないけども、そういう人もいるでしょ、実際に。こうやると、ボンボンと飛んでいくわけですよね。だけども、入身投げで私の経験したのは今言ったような、さーっと引き込まれるから。引き込まれてスーッと行くとバッと来るわけですよ。それは実際に私が体験してるから。

磯山師範が第56回全日本合気道演武大会で演武する様子

ギヨーム・エラール:植芝盛平先生は一人稽古をされていましたか?

磯山先生:あの、よく大先生は、合気道は禊技じゃって言って、要するに神道で禊で、船漕ぎなんかやるでしょ。ああいうことは私らも一緒にやりましたよ、開祖と。船漕ぎ、今でも船漕ぎ運動ってやってるでしょ。今は、今言っちゃ悪いけれども、船漕ぎ運動らしき運動ですよ。しっかり、やっぱりやって。あの頃はちゃんとここでやった時には。

ギヨーム・エラール:磯山先生は力を使うことを支持されていますが、力を使うことを拒否する合気道についてどう思われますか?

磯山先生:確かに、これは私の個人的なあれですよ。力のあるうちは力を運動に出せと。例えば、力を持っているのにお前、力を出しちゃダメだ、力を出しちゃダメだって言っていたら、満足できないわけ、若いうちに。ところが、もうこれでもか、これでもかという力を出してくれば、だんだんその稽古をしているうちに、その無駄な力だったということが分かるんですよ。自分の出している力が無駄だというのが。それを体で分からせないと、合気道というのは力を出しちゃダメな武道だというふうに囚われちゃうわけ。だから、どんなに力を出したって、力では敵わないんだよということを体感させるためには、やはり力を出させるんですよ、若い人にはうんと。私は今でもその考え。

それは動きを主体にした稽古をする人もいます。だけども、私は若いうちに力を出し惜しみしちゃいけないと。とにかく出せと。出せるものは何でも出せと。金は持っていれば金も出せと。だから、とにかくやっぱり出して、出して、この人に私がこんなに力をいっぱいやっても敵わないのは何だろうかと。だから私ら、大先生の時はそれだったんですよ、実際に。

例えば、最後に座って呼吸法あるでしょ。あれは今のやり方とはやっぱり違うから、私らの稽古をした時とは。私らはバーッとこうやって押して、こんなことはやらなかったから。それは一つの方法としてはあったよ。だけども、ガーッと押していく。そうすると、もう手がしびれてくるわけ。大先生の胸に押していると。だんだん手が縮んでくるでしょ。大先生の胸に額が当たるわけよ。今度は手よりも頭で押すんだよ。そうすると、大先生が、磯山、お前ヤギじゃないんだから、頭で押さずに手で押せって言われた。それ、実際に言われているんだから。どんなに押しても敵わないということが分かるわけよ。ところが、こっちが力を半分も出さないで転がされて、やっぱり満足できますか?できないですよね。

それで私が、さっきもチラッと出た、ジェームス・パーソンという憲兵隊の連中に教えていたときに、その連中、何人かここへ連れてきたことがあるわけ。それで私が彼らに教えるときは、バンバン投げたりなんかしていたでしょ。それで、私のことを非常に強いと思っていたわけだ。それでここへ来て、大先生に手玉に取られて転がされているわけだ。投げられた。そしたら、嘘だったわけだ彼ら。例えばこうやって私が押しても押せない。嘘だったわけだ。あんたがそんなに、あんなおじいさんにやれないわけないってわけよ。じゃあお前やってみろって言って。で、大先生に話して、ちょっとやらせてくださいって言って。大先生に来いって言って。やってできないわけですよ。それで納得した。これはもう実際の話だから。あんたが、あんなおじいさんに、やられるわけないって言って。信用しなかったんだ。

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磯山師範が合気会本部道場の鏡開きで多田宏師範の挨拶に耳を傾けている様子

ギヨーム・エラール:最近「内的修練」という言葉が人気のようですが、「内的」と「外的」な修練に違いはありますか?

磯山先生:その内と外っていうのも若干意味合いが違ってくるんじゃないかなと思うんだけれども、外面的なものって言ったら体術ですよね。体術、体を動かす。内面的なものには本当に精神的なもの、それともう一つは呼吸法的なものもありますよね。そこで言っているのは精神的な面じゃないかなと思うんだけども、これは私は非常に大事だと思う。だから、先ほどもちらっと言ったけれども、やはり合気道っていうのはただ単に争わない、喧嘩をしないっていうだけじゃなくて、自分自身を高めるための武道なんだということですよね。そのためにはみんなと協調していかなくちゃならない。我欲を捨てなくちゃならない。そういうことをしっかり身につけて始めて、うまくいくと思うんですよ。

ところが、なんかを見ていると、我欲の方が先に走っちゃって、だからそれっていうのは自分の人間性を高めようとする、そういう努力もないんじゃないのかなって。だから、もしそういう人が指導したとすれば、すぐまたそういう同じようなお弟子さんができちゃうんじゃないのかな。

ギヨーム・エラール:指導で「気」について言及されますか?

磯山先生:それは大事なことなんですよ。大先生が、こういうことを言われた。力は抜いても気は抜くな。自分よりも経験の浅い人、それから力のない人、そういうものには力を抜いて相手に合わせてあげないといけない。ところが、要するに決め技の時に、全く力を抜いて相手にやるようにやらせているわけですよ。その時に気を抜いたら怪我するんです。だから、よく言われた、これは大先生は。力は抜いても気は抜くな。だから気というものを、いろんな意味の取り方があるかと思う。だけども、やはり合気道で言う気というのは、気を抜くな、緩めるな、というようなことを言うでしょう。気というのは非常に大事ですよ。

ギヨーム・エラール:では、なぜ最近は気がそれほど強調されなくなったのでしょうか?

磯山先生:今のなぜ気というものを強調されなくなったかというと、こういうことも考えられると思う。それは相手が動いてくれるから。先ほども言ったけど、大先生は動かなければならないような動きをするわけ。今は自分が動かなくても相手が動いてくれるから、気が必要ないんですよ。そうじゃないですか。

井沢敬:なぜ大先生は合気道に試合を設けることにそれほど反対だったのでしょうか?

磯山先生:だから、よく和の武道だから試合がない。では和とは何か。和というのは単なる喧嘩しない、争わないというだけではない。一つのものを通して、例えば合気道なら合気道の稽古を通して、ある一つの今度は目標に向かって同じような考えでいけるような、そういう仲間をしっかり作る。これはどちらかというと、宗教的なことも関わってくるかもしれないけども。だけども、本来の宗教というのは、私は今みたいな考えじゃないと思うんだよね、宗教も。今はあれでしょ、宗教の違いによって相手を否定して、そして争いになってるでしょ。だから武道でもそうなんですよ。相手を認めてあげる、認めてあげる、理解してあげる。その気持ちがあれば相手も自分を理解してくれる、認めてくれると思うんですよ。ところが、自分だけ相手に認めさせよう、自分を理解させよう、そういう考えでいるから争いになってくる。だからまず、相手に自分から相手を理解してやるということ。

これは例えばいろんな会議なんかで論戦がありますよね、その時に自分の考えだけやたら主張して、相手の言うこと聞かない、そうするともうけんけんがくがくまとまらないでしょ。だからその時に相手をまず、あんたのこういうところがありますよと、いいところを私取り入れますよと、まずそのきっかけで私は打ち解けた話になってくるんじゃないかなと思うんです。

それを習っているのが合気道なんです。まず相手にうまく合わせてやる、合わせてやる。そして今度は自分の思うように相手を動かす。それが大先生の動きです。だから、さっきもちょっと言ったけども、相打ち、相打ちってのがありますよね。だから大先生は相抜けの精神なんですよ。相抜けっていうのは、相手も傷つけない、自分も傷つけない。それをやんなかったら、だからただ合気道は和の武道だ、和の武道だって言ってたって、実際に自分がそういう人間性を高めるような修行をしないで、集まるものはみんな集めようと、我欲を出しちゃダメなんじゃないかなと思うんですね。私らもいつまでたっても我欲が強くてどうしようもないけども、常にそういう少しでもそういう気持ちがあれば、抑制することはできると思うんです。

井沢敬:合気道の真髄を学ぼうとする多くの外国人と出会われてきましたが、そういった人々は合気道に何を求めていると思われますか?

磯山先生:それはその人によって若干違うから、あれだけども、やはり日本の文化っていうものの一つの文化としての合気道、それから合気道のいいところ、先ほども出ましたよね、いわゆる気、気。こういうものは他のスポーツにはあまりないんだよね。だからそういう神秘的なものを彼らは求めている。求めているうちに、普段の稽古だけでは満足できないと思うんです。

そうするとどこへ求めてくるか、ちょっとこの前のイーサンさんなんかがデンマークからわざわざ来たみたいに、ここへ行けば何とかそういう話を引き出すことができるんじゃないかなというような考えでおそらく来て、だからもう私は、ものすごくありがたいですよ。皆さんが、こうして忙しいのに遠いところから来て、いろいろそういう話を投げかけてくれるわけでしょ。

だって日本人の今の指導者でそういう人、まあ私が行かないから接することができないのかどうかしれないけども、あんまりそういう話聞かないよね。だって、ほらここにあるでしょ、像ね。この銅像建ったときに、それで合気道新聞で例えばこれを一体いくらでお分けしますから、いついつまでに注文してくださいというようなことを合気道新聞で流したわけですよ。あれは彼は八段かな、それなりの道場を持って、自分の道場かなんかは知らないけども、指導している人ですよ。その人が、あれはどうなっているんですかって言うんですよ。銅像は作るんですか、この小さいの。だからちゃんと合気道新聞チラッと見るだけでも、分かるのに、そういうような質問をしている人もいるわけ。ということは関心がないわけ。

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井澤敬氏とギヨーム・エラール氏が、道主の道場で磯山師範にインタビューしている様子

井沢敬:これからの正しい合気道の普及において、心に留めておくべきことは何だと思われますか?

磯山先生:それは何度も言うけれども、我欲を捨てることだね。真摯に合気道に取り組んでいくということ。だと私は思いますよ。これは自分自身で言っているの。だから私らが、そういう気持ちでいけば、それを理解してくれると思うんですよ。特に指導する者は、そういう気持ちが必要じゃないかなと、私は常に自分に言い聞かせていますけれども。難しいことはない。とにかく、もう我欲を捨てて、合気道の普及に、自分が開祖からご指導をいただいたことを、一人でも多くの人に正しく伝えていくということ。それは当然技術的なものもそうですけれども、精神的なものもしっかり伝えていくということが、私らに与えられた使命じゃないかなと思いますね。

ギヨーム・エラール:哲学的な側面について、植芝先生の合気道を理解するために大本教の研究は必要でしょうか?

磯山先生:お話は、確かに神様の話。もう90%以上は神様の話だから。だからって、その人の考えにもよるけれども、大先生が大本を信仰し始めてから、開眼したとかっていうようなことも言っている人もいるわね、実際に。だからそういう面で、それは私は大いに大本でも何でも勉強しても、一向に差し支えないと思うよ。どういう思想で大本というのはどういう思想であったのかというようなことを。私は特にやらなくちゃならないという気持ちは私は持っていないけれども。否定もしません。

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磯山師範と稲垣師範が開祖の銅像の前に立っている様子

井沢敬:長い間、国際合気道連盟に関わってこられましたが、その理想的な役割とは何だと思われますか?

磯山先生:47国の人種も違うし、それぞれみんな考え方も違う。私が一番大事なのは、やはりお互いに理解し合うこと。そして、4年に1回ですけれども、総会はありますよね。だから総会のときにできるだけ、会議もいいけれども、お互いにザックバランな話ができるような時間をとられたらいいんじゃないかなと思うんですよね。で、稽古は昔からやってたんですよ。演武会って。だけども、演武会は最近なんですよ。

だからあれ、染宮さんがまた事務総長のときにやったんだね。あれも私提案したんだけど。せっかく集まってきてるんだから、5分でも3分でもいいからみんなに演武の時間を与えたらどうかということで始めたんですけど。だから、あんまり形式に走らずに続けていったらいいんじゃないかなと思いますね。そうすると、あれ演武ってのは不思議と、その国の特徴が出ますから。演武を見ると。だからそこでもってちゃんとした礼儀を指導していくか、どういう技の内容をやっているか、だからそういうときに見れるから。そうすると普段どういうことをやっているかっていうのもある程度想像つきますよね。で、それと先ほども向こうで出ましたけども、一つの世界的な組織なんだから、これは大きくなって内容の充実した組織になることが大事なんですよ。

それで、あれは吉祥丸先生のときかな、あんまり全日本でもなんでも大きくなりすぎると、今度逆にその合気会が分裂しちゃうというような心配を持った人もいたんだけど、私はそれはやり方なんですよ。もし変なやり方だったらそうなっちゃう。だけれどもしっかりした、精神的なものを皆さんに持ってもらって、その日本文化のいいところをまた学んでもらって、そうしてやっていけば、そんな心配をする必要ないと思うんですよね。


文◎エラール・ギヨーム
フランス出身、科学者(分子生物学の博士号)および教育者であり、日本の永住者。東京の合気会本部道場で稽古を行い、合気道道主植芝守央から六段、大東流合気柔術四国本部から五段と教師の免状を授与される。フルコンタクト空手も練習している。自身の「横浜合気道場」で合気道を教えており、定期的にヨーロッパを訪れ、合気道や大東流のセミナー、武道の歴史についての講義を行っている。

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稽古時間

横浜合気道場の授業は日本語英語フランス語で行われますので、英語が全く分からない方も大歓迎です。
水曜日
- 若者と大人
金曜日
~16:30 - サンモールの生徒
17:00~18:00 - 子供
18:30~ - 若者と大人
土曜日
~11:00 - 子供
11:10~ - 若者と大人

横浜合気道場

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